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なんだかなあという話
だからといってどうすればいいってのが無い話
というのもですね
教室に勉強でつかう立方体のブロックがあるんですよ
最近まで無造作に放り投げていたんです
すると、生徒がいろいろ作る
違うブロックですけど、こんな感じとか
ま、とにかく
遊んでくれます
ブロックなんて見るよりも触ってもわった方がいいに決まっています
とはいえ
ベンガルは整理整頓が好きなんですね
無造作に置いておくのもモヤモヤ
てことで箱を買ってきて
おさめてみるとぴったり!
無事、きれいに片付きました(´∀`)
めでたしめでたし
のはずですが、そうはならんのです
じゃ、どうなるの?
それはね
ブロックで遊ぶ子どもが1人もいなくなったんですよ
箱におさめてから、誰も遊んでくれません
そうなるよな
そうなるガル
遊ぶことが学びにつながるのなら
おさまりをよくしようとして
学びを失ってしまったわけです
おさまりはよくなった
よくなったガル
まじ、これリアルだと思っていて
世の中のいたるところでこういうこと起こってますね
おさまりを良くすることで子どもの遊びがなくなっちゃう現象
きれいに片付ける
きれいに整える
安心で安全
おさまりがよい社会
イレギュラーのない空間
安全で平和な
そんな「遊び」のない世界
そんな「学び」のない社会
この矛盾
なんだかなあ
こういうことだよなあ…
だからといって整理され洗練された社会は手放せない
だからといって子どもたちの遊びのきっかけも手放したくない
学びの力が弱くなったと感じる一因はこういうところにあるのかも?
そう考えると
テーブルの上にやっぱりぶちまけておこうかと考えたり
いや、それはそれで嫌だしなあ とか
むずかしいですね
悩みながら進みます(´∀`)
まじで答えなかったな
答えとかないガル
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