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6月23日は沖縄にとって「慰霊の日」
沖縄戦の戦没者を悼む大切な日ですね。
今年は戦後80年
もっと知っておきたいということで「ひめゆり学徒隊」に関する書籍をいくつか読みました。
これまで大雑把にしか把握できていなかったので、メモをとりながら読みました。
以下、まとめたものです。
・ひめゆり学徒隊は240名(生徒222名、引率教師18名)
・沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・先生たち
・両校は現在の那覇市栄町市場近くにあった
・3月23日 沖縄陸軍病院(南風原)に看護要員として動員
・3月27日 陸軍病院にて卒業式
・4月1日 米軍が読谷村に上陸
・5月25日 戦況の悪化により南風原から糸満に移動
・6月18日 解散命令
・6月19日 伊原第三外科壕(ひめゆり平和記念資料館のある場所)が米軍の攻撃を受け、学徒隊50名近くが死亡。
・240名のうち136名が戦死した
記事を公開した6月18日に解散命令が出たということになります。
読んだ本をいくつか紹介します。
小説のようにドラマチックな展開があるわけでも感動できるわけでもありませんが、現実に起こったことに圧倒される3冊です。
『ひめゆりの塔 学徒隊長の手記』
女子生徒たちを引率した先生の手記を元に書籍化されたもの。
日時、場所がはっきりと残されていて経過がつかみやすかったです。
感情を抑えながら淡々と語る中に無念さや無力感、つらさがにじんでいました。
何のドラマもなく、淡々と人が死んでいくので、きつかったです。
『ひめゆりの沖縄戦』
ひめゆり学徒隊の生存者である著者による、小中学生にも読みやすい本。
地図や壕の配置イラストなどがわかりやすく工夫されています。また当地の現在の写真などもあって場所をつかみやすいです。
戦争に関するコラムも多く掲載されていて、手に取りやすいと思います。
『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』
『ひめゆりの塔 学徒隊長の手記』の西平氏とは別の部隊を率いた著者の本。
多くの学徒の手記が収められており、感情的でより心を揺さぶる内容になっています。戦場の細部をうかがい知ることができます。
多くの「歌」が収められていて、生き残った者の苦悩にもふれることができます。
本文を引用して終わりとしたいと思います。
生き残った者は殊勝であったとか、死んだ者は勇敢であったとか、臆病であったとか、尽忠報国の精神に燃えていたとか、信仰が浅いとか、深いとか、いったいそういうことが今次沖縄戦においてどれほど生死と関係があったろうか。人間の個々の力はこの戦いの前にはほとんどゼロに近かった。とくに沖縄最南端に追いつめられていった者についてはそういえよう。
生きるも死ぬも、ただ偶然であり、僥倖であった。生き残った生徒と死んでいった生徒を比較して、人間のあさはかな知恵で生死の理由を判断することはとうてい不可能である。もし、この偶然、僥倖を運命というならば、すべては運命にさばかれたにすぎない。生きるべき者が生き、死ぬべき者が死んだなどとは、世間的な意味ではどうしても考えられない。生き残った者にはまだはたすべき使命が残っていると考えるのは、一つの生き方ではあっても、死んだ生徒たちの使命がまったくなくなったとはどうしても考えられないのである。ただ運命という針ほどの細い軸にささえられて生きのびているのである。『ひめゆりの塔 学徒隊長の手記』より
生きるとか死ぬとか
敵とか味方とか
幸せとか不幸せとか
戦中とか戦後とか
兵隊とか市民とか
平和とか戦争とか
加害とか被害とか
やすやすとふたつに分けられるものではなく
やすやすとどちらかを選べるものでもなく
そのはざまにずっとたたずむ苦しさを感じました。
80年前に起きたことを知る上でも
ぜひ手に取ってほしいと思います。
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