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こんにちは!うるま市にあります学習塾ベンガルです!
先日やっとのことで『鬼滅の刃』1巻〜22巻まで読みました(´∀`)
鬼滅の刃を読んでると、「つなぐ」ということが大切にされてるように感じるんですね。
今日はそんなとりとめのない内容を書いていきたいと思います。
アイキャッチは推しの胡蝶しのぶですが、記事にはあまり出てこないです…(´∀`; )
ちなみにめっちゃ長いガル 笑
鬼滅の刃には「つなぐ」という考えが底流に流れているんじゃないかって思います。
鬼滅の刃を読みすすめるうちに「つなぐ」を軸として読む楽しさを覚えていきました。ここで言いたい「つなぐ」というのは「次の人へつなぐ」「想いを託す(うけつぐ)」などを指します。
特に、物語の中盤から後半にかけて「つなぐ」という軸がはっきりとし、様々なシーンで読みとれるようになっていきます。
戦闘シーンはもちろんのこと、何気ないシーンでも出てきます。
何気ないシーンですが、まだ中学生頃の年齢の炭治郎のこの発言は鳥肌ものです。なかなか言えることではないです。
「つなぐ」の大きなきっかけとなったのは、煉獄杏寿郎の最期でした。(ただ、これは次回書きます)
この思いを受けた炭治郎たちは鍛錬をつみ、さらなる高みをめざしていきます。
印象的なのは兄妹の鬼であると戦った吉原遊廓戦です。
この鬼は首を切っても死なないという魔設定になっていました。ゴールポストがないサッカー、ホームベースがなくなってしまった野球みたいなものです。無理ゲーです。
とはいえ、鬼の首を2つ同時に落とすという設定の穴を見つけ出します。
この設定により、仲間と連携すること(=つながること)が舞台装置として用意されました。
あまりの鬼の強さに、押されまくる炭治郎たち。そりゃそうでしょう。魔設定ですから。しかも上弦ですから。フロイド・メイウェザーにストリートで喧嘩ふっかけてる感じですよ。
つないでつないでチャンスを作り出していきました。
最終決戦となった無限城編。
ここで見る鬼舞辻無惨の強さが半端ないです。やんごとなき攻撃力。言わん方なき再生力。もはや野球バットを振り回しながらサッカーしてるフロイド・メイウェザーな感じなのです。
鬼殺隊はひたすらにつなげます。負傷を負い、命を差し出してまでもひたすらにつなぐ。
もはやここで鬼殺隊ができたのはつなぐこと。つなぐために必死に生きること。そして死ぬこと。
勝ちにいこうとするのではなく、誰かのために自分はつなぐ。仕留めるのでなく、場をつなぐためだけに命を削る壮絶な戦いでした。
そもそもこの戦いは「日の出まで無惨をその場にとどめておく」というものです。
日の出までの残り1時間半をこの場に留めておくという戦い。勝ち切るのでなく、ドローでの勝ち点狙いなのです。
そのために多くの鬼殺隊員、柱たちがその体を投げ出して命を落としながらつなげていきました。
つなぐことを象徴するシーンをいくつか紹介いたします。いろいろあるんですけど、個人的にぐっときたものを並べておきます。
炭治郎は、生前の父により日の呼吸の12の技を知っています。これは代々受け継がれてきた(=つながれてきた)ものです。
連続するように舞うことで13番目の型になるということに気づきます。
12の技をつなぐことで強さを増し、活路を見出していきました。
主人公の大技に「つなぐ」を取り入れたことに、作者の練り上げれた闘気を見ました。
鬼殺隊員は死の間際でもつなぐことを忘れません。
それが「指文字」という技能にあわられています。
指文字は音を立てずに意思を伝達するものだと思いますが、それはあくまでも生きている者同士のこと。
鬼殺隊員安は命を落としても指文字でつないで、勝利を呼び寄せていきます。
鬼を滅ぼすという念願は数百年にわたり鬼殺隊につながれてきた想い。鬼と戦うこと自体が、多くの隊員と倒れた仲間たちの想いを受けつぐことになっています。
無限城決戦にて、無惨には脈々とう受け継がれる鬼殺隊の執念を幻影として見ることになりました。
つなぐことで一人の力をこえた大きなパワーへ変わっていきます。
こちらは読んだ人なら説明はいらないでしょう。
炭治郎の一言をきっかけに、旧友である錆兎の一言を思い出す名シーンです。
このあと無事に錆兎の想いをつないでいってくれます。
鬼殺隊の最上位レベルの剣士である柱には、弟子をとる制度があります。
正式に受け入れられた弟子は「継子」と呼ばれます。
そのネーミングがすでに「うけつぐ者」「つなぐ者」となっており、「つなぐ」を体現する存在と言えます。
つなぐ戦いは弱者の兵法であり、圧倒的強者への強力な対抗策。この弱者の兵法に胸を熱くするのは日本の御家芸ともいえるものです。
スポーツなんかそうですよね、バレーだったりサッカーだったり。
トップレベルの相手に互角に渡り合えなくても、つなぐバレー、つなぐサッカーで相手を追い詰め、観る者は胸を熱くしてきたわけです。
一種の判官びいきと言えますが、胸を熱くするのは確かなことです。
つなぐことには、一人の力をこえて大きな力を引き出すこと。力をあわせることになるという魅力があります。
つなぐというのは、献身的な行為です。
野球でいえば送りバント。自分がアウトになっても、ランナーを進めてチャンスを広げ、次のバッターに託す。つなぐ野球と言われるものです。
(個人的には送りバントに統計的な効果がないとされるのに消えないのは、文化的な嗜好だと思っている)
つなぐ意識の中には献身的な部分があります。でも、それだけではない。それだけでは足りない気がする。
それだけではあそこまで投げ出せない気がします。
それは何だろう。あそこまで献身的にさせるものは何だろう。
そう思って読んでいると、鬼滅の刃におけるつなぐ意識の根底には、仲間への信頼とリスペクトの強さが浮かび上がってきました。
鬼滅の刃の多くのシーンで仲間を信じる場面とリスペクトの強さが描かれます。
時には、ちょっといや、それはいくらなんでもピュアすぎるんじゃないかと思うシーンすら出てきます。
仲間を信じることとリスペクトの想いが「つなぐ」というテーマを支えているのです。
小説を読むとき、漫画を読むとき、映画を見るとき。自分なりに物語の軸を考えると楽しくなります。何倍にも熱くなり、何倍にも涙を流せます。
鬼滅の刃を読んで涙する大人も多いと聞きます。僕もその一人です(´∀`)
長く生きた分、いろいろな軸を見つけ、いろいろなポイントで泣けると思います。今日はそんなお話でした。
少し長くなりすぎました( ´∀`)
今日はこのへんで終わりにしたいと思います。ちょうど3連休ですので、明日も鬼滅の刃ネタでお送りします笑笑
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